メグロの情熱はカワサキのバイクへ引き継がれている!知る人ぞ知るバイクの歴史

2021年の2月1日、カワサキモータースジャパンから満を持して発売された「MEGURO K3」。美しいエンジンに流麗なタンク形状、ホイールにシートとバランスよくまとめられたバイクのフォルムは誰もが1度は「乗ってみたい!」と思うほど素晴らしいものです。

そして、「MEGURO K3」をはじめとしたカワサキから製造されているこのMEGUROシリーズ、”メグロ”という戦前から戦後初期のバイクの歴史を鮮やかに彩ってきた製造メーカーの歴史・情熱が詰まっていることをご存じでしょうか?

そこで今回の記事では、知る人ぞ知る”メグロ”という製造メーカーと現在の”カワサキ”の歴史をご紹介していこうと思います!

初めて知る方にとってはカワサキのMEGUROシリーズを深く知る・更には好きになるきっかけにもなるかと思いますので、ぜひ最後までご覧になってください!

カワサキMEGUROシリーズの起源、”メグロ(目黒製作所)”とは?

カワサキモーターから製造されているMEGUROシリーズには”メグロ(目黒製作所)”の歴史が詰まっていることは冒頭でもご紹介した通りですが、具体的にメグロとはどのような製造メーカーだったのでしょうか?ここではメグロの歴史を深く掘り下げていこうと思います!

2人のエンジニアによって創業したメグロ(目黒製作所)

今でこそホンダ・スズキといったバイクメーカーが日本のバイク業界を牽引していますが、これらのメーカーが誕生する更に前の1924年(大正13年)、村田延治・鈴木高治という2人のエンジニアによって創業したのが目黒製作所です。

村田と鈴木はもともと村田鉄工所という勝精(勝海舟の孫)の出資によって設立された製造所でエンジンなどを造っていましたが、紆余曲折を経て独立の道を選択します。

そして新たに創業した目黒製作所では、戦前に日本に輸入されていたトライアンフやインディアン用の部品を手掛けるようになりました。

変速機メーカーとして頭角を現す

村田鉄工所で築いてきた技術を活かしたことで目黒製作所は国産の三輪自動車用ギアボックスのトップメーカーとして広く知られるようになります。1928年(昭和3年)には三輪車用のトランスミッション(変速機)の国産化も実現しました。

「メグロのトランスミッションは品質が良く壊れない」、そのような世間からの太鼓判に確信を得たことで「部品屋から更に成長しよう」という意志のもと、目黒製作所はバイクの製造を始めます。

そして1932年(昭和7年)には500㏄クラスの空冷OHV単気筒を自社開発するとともに、他メーカーへの供給も開始しました。

また、エンジン開発のかたわら、新聞社や雑誌社が主催する競技会にも独自開発したマシンで出場し、バイク製造のノウハウを蓄積するとともに、その実績を積み上げていきました。ちなみに、このバイク造りの過程ではイギリスの製造メーカーベロセから造られた「ベロセットKTT」が参考にされたといわれています。

戦前、バイクの歴史を彩る単気筒メグロの始祖が完成

1937年(昭和12年)目黒製作所は遂に完成車として、メグロ号500㏄単気筒Z97型を完成させます。

「Z97」という車名の由来は海軍のZ旗と皇紀2597年(1937年)から取ったといわれています。更に、このように名付けた背景には、当時トップクラスの馬力を誇る500㏄の大型バイクを購入するのが貴族や国であったためといわれています。

この狙いは見事に適中し、国や軍を中心におよそ850台のZ97が生産されました。特にZ97型の性能が買われ、白バイとして警視庁に納入されたという話を聞くと、その性能が当時他を抜きん出ていたことがよく分かることでしょう。

そして、このZ97型で搭載された単気筒は後の1956年(昭和31年)に誕生した「スタミナZ7」まで続くこととなり、単気筒メグロの始祖モデルにもなりました。メグロをよく知る人の中には「メグロは単気筒が本領」と語るほどであり、事実、メグロから500㏄モデルとして最も長く製造されたものこそ単気筒モデルでした。

戦後、単気筒500㏄のZシリーズ・250㏄のジュニアシリーズを展開

Z97型が注目を集め、その勢いは更に増していくと見えましたが戦争が勃発したことで目黒製作所はバイク製造を一時中断することになります。そして、戦後の物資不足を乗り越えてしばらく経った後、目黒製作所は本格的にオートバイメーカーとして活動をはじめていきます。

1950年(昭和25年)には、以前から製造していたZシリーズの販売を再開しました。しかし、ホンダやスズキといった後発メーカーが「速い・安い・おしゃれ」の3拍子揃ったバイクで勢いづいていたこともあり、これに対抗するため・市場ニーズを反映するためにミドルクラスといったバリエーションも展開するようになりました。

このような背景から誕生したのが250㏄の空冷OHV単気筒エンジンを搭載したジュニアJ1でした。250㏄モデルとして登場したジュニアJ1は非常に人気が高く、目黒製作所最大のヒット作となりました。

そして、人気も相まってモデルチェンジが重なり、1965年(昭和40年)のSGまで続くことになりました(このジュニアモデルは後にカワサキのエストレイやとして引き継がれていきます)。

目黒製作所ではZシリーズ、ジュニアJシリーズ以外にも、白バイ用に開発された650㏄セニアT、350㏄レックスY、125㏄レジナEと幅広いラインナップが展開されました。

小型車の市場ニーズが拡大する裏でメグロに陰りが

目黒製作所も市場で求められる50㏄~125㏄クラスのバイクを生産したことは先に触れたとおりですが、1957年(昭和32年)頃になると小型車の製造に優れていたホンダ・ヤマハ・スズキに対して遅れを取る形になっていきました。

それらの製造メーカーに対抗する形で、OHC125㏄マシン「F」を出したものの「高回転型でメグロらしさが無い」と市場に受け入れてもらえませんでした。また、単気筒Zモデルを更に昇華させた2気筒の高性能500㏄マシン「スタミナK1」も販売しましたが、当時大型バイクを購入できるユーザーは限られていました。

誰もが憧れる、羨望の的となる魅力ある大型バイクを製造するという、創業から続く伝統がこの時期には枷になっていたといえます。

メグロの伝統技術はカワサキへと引き継がれる

バイク人気の一時代を築いたメグロでしたが、戦後には後発メーカーが製造する小型オートバイが主流となっていき、目黒製作所には陰りが見えるようになりました。

そんな目黒製作所に手を差し伸べたのが川崎航空機工業(現・川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー)でした。1960年(昭和35年)に2社は業務提携を実施し、250㏄クラス以上は目黒製作所が、50~125㏄クラスは川崎航空機工業が生産を担うことになりました。

そして更に4年後の1964年(昭和39年)には目黒製作所と川崎航空機工業は一体化し、同年の第11回東京モーターショーにて「カワサキ500メグロK2」が発表されました。

このメグロK2の開発は、川崎航空機工業に移った目黒製作所の技術者との共同で行われており、川崎航空機工業の設計・生産となりました。

大幅なエンジンの改善によって耐久性は飛躍的に向上し、メグロの伝統となっていたOHVのバーチカルツインとして、振り返ると650W1、そしてW3と長期に亘って生産されることになりました。

更に時を重ね、1999年(平成11年)には「W650」として復刻モデルが登場し、2021年には「MEGURO K3」としてメグロの情熱・血統を引き継いで甦ることとなりました。

まとめ

バイクの歴史の一時代を築いたともいえるメグロ(目黒製作所)の歴史を中心に振り返り、現カワサキと一体化するまでを見てきましたが、いかがだったでしょうか?

「メグロ・MEGURO」という車名が名付けられていることの意味を実感していただけたでしょうか?メグロ以外にもあなたが乗っているバイクの名の由来を調べてみると意外な発見もあるかも知れませんね。

MEGUROシリーズの最新モデルとなるK3は2年間の生産期間で400台と極小ロットであり、記念碑的モデルとしての意味合いが強いです。ほとんどの人が手にできないほど、レアリティの高いモデルになることは確実ですので、どうしても気になった方は逐一、市場をチェックしておくようにしましょう!